声明(しょうみょう)とは?完全ガイド|日本最古の声の音楽と、寺で重なる倍音の話

法要のはじまりに、ひとりの声が低く出ます。そこへ、別の声が重なる。同じ音のはずなのに、少しだけずれている。そのずれが、天井の高い堂の中で反射して、戻ってきて、うねりになる。歌でもないし、読み上げでもない。

——聴いたことのある方は、たぶんこう思われたはずです。「これは、何なのだろう。」それが、声明(しょうみょう)です。


💎 この記事のキー1行声明は「ありがたいお経の声」ではなく、音階と記譜法を持ち、千年以上にわたって口伝で伝えられてきた、日本最古級の声楽です。


この記事の答え(3行)

  • 声明とは、仏教の法要で僧が唱える旋律を持った声楽のことです。もとはインドで言語学・音韻学を指す言葉でした。
  • 日本では天台声明と真言声明が二大系統。どちらも博士(はかせ)という独自の記譜で伝えられ、五線譜には収まりません。
  • 聴きどころは旋律よりも重なり方です。斉唱のわずかなずれと堂の残響が、うなりと倍音を生みます。

1. 声明とは何か——読経とは違う「音の高さが決まっている声」

声明とは、仏教の法要で僧が唱える、旋律を持った声楽のことです。いちばん分かりやすい違いは、読経と並べたときに出てきます。一般に思い浮かべる読経は、一定の高さで文字を追っていく唱え方です。速さは変わっても、音の高さは大きく動きません。

声明は、動きます。上がって、下がって、伸びて、揺れる。どこで上がるか、どこまで伸ばすかが、曲ごとに決まっています。つまり声明は、気持ちの込め方ではなく、決められた音の運び方です。

ここが最初の誤解しやすい点です。声明は「ありがたい気持ちで唱えられたお経」ではありません。音楽として、譜があり、稽古があり、流派があります。僧侶は何年もかけてこれを習います。師の声を聴き、真似て、直される——楽譜だけでは伝わらない部分が本体だからです。


2. 声明の意味と語源——もとは「音楽」ではなく「言語学」だった

意外に思われるかもしれませんが、声明という言葉は、もともと音楽を指していませんでした。古代インドには、僧が学ぶべき五つの学問領域という枠組みがありました。五明(ごみょう)と呼ばれます。

五明内容
声明(しょうみょう)言語・文法・音韻の学
工巧明(くぎょうみょう)技術・工芸・暦数
医方明(いほうみょう)医学
因明(いんみょう)論理学
内明(ないみょう)自身の教義の学

サンスクリットのシャブダ・ヴィディヤー、すなわち「音(シャブダ)についての学問」の訳語が、声明でした。なぜそれが音楽の名前になったのか。背景には、経典が声に出して伝えられるものだったという事情があります。文字に書き留める以前、経は記憶され、唱えられ、耳から耳へ渡されていました。

正しく発音すること。正しい高さで、正しい長さで唱えること。それは信心の問題ではなく、技術の問題でした。だから声についての学問が要った。そして中国・日本へ渡るうちに、その学問の名前が、実際に唱えられる声そのものを指すようになっていきます。

言葉が意味を移す瞬間が、ここに残っています。


3. 声明の歴史——大仏開眼から、大原の魚山まで

日本の声明は、仏教の伝来とともに入ってきました。752年(天平勝宝4年)の東大寺大仏開眼供養会では、各地から僧が集まり、伎楽をはじめとする荘厳な音楽が奉じられたと伝えられます。国家的な儀式の中心に、音がありました。

大きな転機は、入唐した僧たちによって訪れます。円仁(えんにん・794-864)は唐で学び、五台山系の念仏の唱え方を日本に伝えたとされます。ゆっくりと長く声を引く引声(いんぜい)の系統です。

そして良忍(りょうにん・1073-1132)。彼は京都の北、大原に住み、それまで各所に伝わっていた天台の声明を集大成したとされています。大原が中国の聖地にちなんで「魚山(ぎょざん)」と呼ばれるのは、このためです。来迎院・勝林院といった寺が、いまもその名残を伝えています。

一方の真言声明は、空海の伝えたものを起点に発展し、高野山を中心とする南山進流(なんざんしんりゅう)が現在の主流とされます。注目したいのは、この二つが千年近く、途切れずに口伝で続いてきたということです。

楽譜は補助でしかなく、本体は人の喉にありました。戦火があり、宗派の分裂があり、明治の混乱があってなお、声だけは受け渡されてきた。世界的にも珍しい持続です。似た構造は密教・真言宗入門(記事155)にもあります。密教が師から弟子へ直接伝えることを重んじたのと、声明が師の声を真似ることでしか伝わらないのは、同じ考え方の別の面です。


4. 天台声明と真言声明の違い——二大系統を並べる

「声明」とひとくくりにされがちですが、系統によって性格が違います。

観点天台声明真言声明
中心地比叡山・京都大原(魚山)高野山(南山進流)
由来円仁ら入唐僧、良忍が集大成空海が伝えた系統から発展
記譜目安博士が用いられるとされる五音博士が用いられるとされる
音の印象引き伸ばした息の長い旋律が目立つ音の上下がはっきり刻まれる曲が多い
代表的な法要法華懺法、例時作法理趣三昧、後夜作法
聴ける場天台系寺院の法要・声明公演高野山・真言系寺院の法要・声明公演

もっとも、この違いは聴き比べて初めて分かる程度のものです。初めて聴く方が最初に受け取るのは、系統差ではなく「堂全体が鳴っている」という感覚のほうだと思います。そちらのほうが、たぶん正しい聴き方です。


5. 博士(はかせ)という楽譜——五線譜に書けない記譜法

声明には、独自の楽譜があります。博士(はかせ)といいます。見た目は、漢字で書かれた歌詞の脇に引かれた短い線の連なりです。線の角度、向き、曲がり方が、声の上下・伸ばし・揺らしを示します。

五線譜との違いは決定的です。

観点五線譜博士
示すもの絶対的な音高と長さ前の音からの動き
基準音名(A=440Hzなど)その日の唱え出しの声
読み方誰が読んでも同じ流派・師の教えで解釈が変わる
完全性譜だけで再現できる譜だけでは再現できない

つまり博士は、音を指定していません。動きを指定しています。出だしの高さは、その日の導師の声で決まります。体調でも、季節でも、堂の広さでも変わる。絶対音高という発想がそもそも無いのです。

現代の私たちは、音楽を「Hzで決まった高さの集まり」として捉えがちです。基準となる周波数があり、そこから全部の音が決まっていく——という考え方です。けれど声明は、その前提の外側で千年動いてきました。

基準は数字ではなく、いまそこにいる人の喉でした。


6. 声明の音組織——呂・律・中曲という三つの旋法

声明の音の並びは、呂(りょ)・律(りつ)・中曲(ちゅうきょく)という三つの旋法で説明されるのが一般的です。雅楽と共通する用語であり、日本の音階論の古い層がここにあります。五つの音を宮・商・角・徴・羽(きゅう・しょう・かく・ち・う)と呼ぶのも、中国由来の理論を受け継いだものです。

ただし——ここは正直に書きます。理論と実際の響きは、かなり離れています。理屈のうえでは音階が決まっていても、実際の声明では音がゆっくり滑り、揺れ、隣の音へ溶けていきます。西洋音楽の平均律のように、音と音のあいだが階段状に切れていません。

だから、五線譜に採ろうとすると必ずこぼれる。採譜の試みは近代以降いくつも行われましたが、そこに書けなかった部分こそが声明らしさだった、という結果になりがちです。書けるものは伝わりやすく、書けないものは生き残りにくい。声明が口伝を手放さなかったのは、たぶんこの理由です。


7. 堂の中で何が起きているか——残響とうなりの仕組み

ここからが、この記事の中心です。声明を聴いたときの、あの独特の厚み。あれは声の技術だけでは説明できません。堂という空間が、半分を作っています。起きていることを分解します。第一に、残響。

寺の堂内は、硬い木、土壁、高い天井、少ない吸音材でできています。音は吸われず、何度も反射します。結果として前の音が消える前に、次の音が始まる。第二に、斉唱のずれ。声明は基本的に無伴奏の斉唱です。全員が同じ旋律を唱えます。しかし人間の声は、完全には揃いません。ほんのわずかに高さが違い、出だしが違う。

第三に、うなり(ビート)。わずかに高さの違う二つの音が重なると、音量がゆっくり波打つ現象が起きます。これがうなりです。声明のあの「うねり」の正体の一つが、これだと考えられます。第四に、倍音。

人の声は単一の高さではなく、その整数倍の成分を含んでいます。多数の声が重なり、残響で滞留すると、倍音同士が強め合う帯域が生まれます。——これらが同時に起きている。倍音そのものの仕組みは倍音・倍音瞑想完全ガイド(記事130)で詳しく扱っています。

面白いのは、この設計が意図されたのかどうか分からないことです。堂は音響のために建てられたわけではありません。それでも、結果としてこの響きが生まれ、その響きを前提に旋律が磨かれていった。

建物と声が、何百年かけて互いに合わせていったと言うほうが、たぶん実態に近いのだと思います。


8. 声明と世界の詠唱を比べる——チベット・グレゴリオ聖歌との違い

「重なる声」という点で、声明はしばしば他の伝統と並べられます。ここで整理しておきます。

観点日本の声明チベット密教の詠唱グレゴリオ聖歌ホーミー(喉歌)
声の出し方通常の発声を長く保つ極端な低音発声を用いる流派がある通常の発声特殊な喉の操作
一人が出す音一つ流派により一人で複数の成分が聴こえる一つ一人で二つ以上
重なり方斉唱のずれ+残響低音の集団詠唱斉唱(後に多声化)独唱が基本
記譜博士(相対的)記譜と口伝ネウマ譜(相対的)口伝中心
場の役割堂の残響が不可欠堂内で行う石造聖堂の残響が大きい屋外でも成立

ここに、よくある誤解を一つ置いておきます。日本の声明は、一人で複数の音を出す倍音唱法ではありません。「声明=倍音唱法」と紹介されることがありますが、正確ではないと考えられます。日本の声明で聴こえる豊かな倍音は、多数の声と空間の残響が重なった結果であって、ホーミーのような発声技術によるものではありません。

同じ「倍音が聴こえる」でも、出どころが違います。この区別は、けなすためのものではありません。どこを聴けばいいかが変わるから大事なのです。ホーミーは一人の喉を聴く音楽で、声明は部屋ごと聴く音楽です。


9. 声明が日本の音楽に残したもの——語り物の源流として

声明は、寺の中だけで終わりませんでした。日本の伝統音楽の多くが、声明を母体のひとつとして持つと指摘されています。

  • 平曲(琵琶を伴う平家物語の語り)
  • 謡曲(能の声楽部分)
  • 浄瑠璃・義太夫節(人形浄瑠璃の語り)
  • 和讃・御詠歌(日本語で仏を讃える歌)

共通するのは、「歌」と「語り」の中間にあるという性格です。はっきりした拍が刻まれず、言葉の抑揚に沿って音が動く。伸ばすところで思い切り伸ばす。——この感覚を、日本音楽は声明から受け取ったと考えられています。

現代の音楽にも、思わぬ形で顔を出します。作曲家・黛敏郎の『涅槃交響曲』(1958年)は、梵鐘の音を分析して得られた響きと、声明を思わせる男声の詠唱を組み合わせた作品です。千年前の寺の音が、二十世紀のオーケストラの中で鳴っている。

古いものが古いまま残ったのではなく、形を変えて別の場所に出てきた。伝統というのは、たぶんそういう残り方をします。


10. 声明の聴き方——初めて聴く方が、どこを聴けばよいか

声明を初めて聴くとき、多くの方が旋律を追おうとして、うまくいきません。旋律は、はっきりした形をしていないからです。おすすめの聴き方は、順番に三つあります。第一段階:出だしの一声を聴く。

導師が一人で唱え出す部分です。ここでその日の高さが決まります。他の声が入る前の、いちばん構造が見える瞬間です。第二段階:重なった瞬間を聴く。声が加わった瞬間に、音の厚みが変わります。同じ音のはずなのに、揃っていないという感覚を、そのまま受け取ってください。ずれは失敗ではなく、この音楽の材料です。

第三段階:切れ目の余韻を聴く。声が止まったあと、堂に音が残ります。この残響の長さが、その建物の性格です。声明を聴くとは、半分は建物を聴くことです。言葉の意味は、追わなくてかまいません。

漢文であり、梵語の音写もあり、そもそも意味を追える速度では動いていません。マントラ瞑想(記事63)と同じで、意味の理解が体験の条件になっていない種類の音です。


11. 家で声明を聴くための、音源と環境の選び方チェックリスト5項目

家で聴く場合、選び方と設定でかなり印象が変わります。最低限これだけ確認してください。

  1. 録音が「堂内収録」かどうか……スタジオ収録の声明は声がきれいに録れますが、残響が短く、あの厚みが出ません。ジャケットや商品説明に「〇〇寺にて収録」「ライブ収録」とあるものを選んでください。声明は空間ごと録れていないと半分になります
  2. 系統が明記されているか……「天台声明」「真言声明」「南山進流」など、系統や法要名が書かれている音源は、演者が専門の僧である可能性が高いものです。単に「お経 ヒーリング」とだけ書かれた音源は、加工された環境音楽であることがあります。どちらが良い悪いではなく、別のものだと知って選ぶことが大切です
  3. 加工の有無を確認する……シンセサイザーや自然音が重ねられた編集版があります。眠るためならそれで構いませんが、声明そのものを聴きたい場合は無加工のものを。「オリジナル」「実況録音」等の表記が手がかりになります
  4. 再生はスピーカーが向いています……声明の厚みは空間で音が混ざることで生まれます。ヘッドフォンは細部が聴き取れる一方、部屋の反射が無くなるため平坦に感じられることがあります。部屋のスピーカーで、少し離れて聴くのが本来に近い形です。イヤホンしか無い場合は、密閉度の高すぎないものを
  5. 音量は「小さすぎるかな」で止める……これが最重要です。声明は法要では大音量ではありません。会話より少し小さいくらいが適量です。大きくすると低音成分が耳に強く残り、長く聴けなくなります

堂で録られたもの。系統が書いてあるもの。音量は控えめ。最初の一枚は、これで外しません。


12. 声明を実際に聴きに行く——法要と公演の違い

録音より、やはり実際の空間で聴くほうが体験は違います。機会は主に三種類あります。

種類性格予約注意点
寺院の法要に参列本来の形。無料〜志納のことが多い不要な場合が多い儀式であり公演ではありません。拝観の作法に従うこと
声明公演・声明の会ホールや堂で行う演奏会形式要(チケット)解説付きのことが多く、初めての方に向きます
特別法要・年中行事修正会、涅槃会、彼岸会など寺により異なる混雑することがあります

初めての方には、解説のある声明公演をおすすめします。曲の意味と聴きどころが分かってから聴くと、受け取れるものが大きく変わります。一方、法要に参列する場合は、心に留めておきたいことがあります。

そこは、演奏の場ではありません。供養や祈願のために営まれている儀式に、こちらが立ち会わせてもらう形です。撮影・録音は原則として控え、可否は必ず寺院の指示に従ってください。日程・会場・拝観条件は寺院や主催により異なり、変更されます。訪問前に必ず公式情報をご確認ください。 寺との関わり方全般は日本の禅寺巡り完全ガイド(記事156)でも扱っています。


13. 声明の効果について——言えること/言えないこと

ここは誠実に線を引きます。声明そのものを対象にした信頼できる研究は、ほとんど存在しません。「声明は特別な周波数で身体を整える」といった説明を見かけることがありますが、その根拠は示されていないのが実情です。

一方、周辺には参考になる研究があります。ベルナルディらが2001年に『BMJ』誌で発表した研究では、ロザリオの祈りやヨーガのマントラを唱えると、呼吸がおよそ1分間に6回前後に整い、心血管系のリズムに変化が見られたと報告されています。ゆっくり長く声を出す行為は、必然的に呼気を延ばす——それが自律神経の指標に現れた、という解釈です。

また、ヴィックホフらが2013年に発表した研究では、斉唱で歌うと歌い手たちの心拍変動が同調する傾向が報告されています。同じ旋律を同じ息づかいで唱えることが、生理的な同調をもたらす可能性を示すものです。

さらに、カルヤニらが2011年に発表した小規模なfMRI研究では、「OM」の詠唱時に辺縁系の活動パターンに違いが見られたと報告されています。ただし、これらは声明を対象にした研究ではありません。

整理します。

内容エビデンスの強さ
ゆっくりした詠唱が呼吸を毎分6回前後に整える傾向中程度(Bernardi et al., 2001)
斉唱時に歌い手の心拍変動が同調する傾向中程度(Vickhoff et al., 2013)
詠唱時の脳活動パターンの違い弱い〜中程度(Kalyani et al., 2011・小規模)
残響や倍音が主観的な没入感に関わること弱い(主観指標が中心)
声明が病気を治す・運を良くすること未証明

私たちが自信を持って言えるのは、次のことです。長く息を吐く時間が、一日の中にできる。声明を聴くだけなら呼吸は変わりませんが、声明が流れている部屋では、たいてい人は静かにしています。 それ自体には価値があります。けれど、それを効果と呼んで数字で保証することは、いまの科学ではできません。


14. 声明についての誤解と注意——言えること/言えないこと

誤解しやすいこと

  • 「声明=お経を読むこと」……違います。読経は音高がほぼ一定、声明は旋律が定められた声楽です
  • 「声明は一人で倍音を出す唱法」……違います。倍音は多数の声と堂の残響から生まれます。ホーミーとは仕組みが別です
  • 「特定のHzに合わせて作られている」……そうした事実は確認されていません。声明には絶対音高の基準がなく、その日の導師の声で高さが決まります
  • 「聴けば必ず癒される」……感じ方には個人差があります。低音の連なりを重く感じる方もいらっしゃいます
  • 「素人が真似して唱えてよい」……法要の曲を模倣して録音・配信することは、宗教的にも権利的にも慎重であるべきです。聴くことから始めるのが安全です

身体と心について、言えること/言えないこと

声明は医療の代わりにはなりません。治療を受けている方は、主治医の指示を優先してください。実践上の注意もあります。音量を上げすぎないでください。低音成分の多い音を大音量で長時間聴くことは、耳の負担になります。

また、気持ちが強く沈んでいるときに、長く低い音を聴き続けることが向かない場合があります。 重く感じたら止めて構いません。そういう日は、チベタン・シンギングボウル完全ガイド(記事40)で扱った高い倍音の楽器や、外を歩くほうが合うことがあります。


本記事について(免責事項・広告表示)

本記事は、声明の歴史・音楽構造・聴き方を紹介する情報コンテンツであり、医療行為・心理療法・宗教的勧誘のいずれでもありません。歌唱・詠唱に関する研究の記述に、疾病・症状の改善を保証する意図はなく、感じ方には個人差があります。声明そのものを対象とした健康効果の研究は現時点でほとんど存在せず、本記事内の関連研究はマントラ詠唱・合唱等を対象としたものです。治療を受けている方は主治医の指示を優先してください。大音量・長時間の聴取は聴覚の負担となりますのでお控えください。法要・声明公演の日程・会場・拝観条件・撮影録音の可否は寺院や主催者により異なり、変更されます。参加前に必ず公式情報をご確認ください。 本記事は特定の宗教・宗派への入信や寄進を勧めるものではありません。

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たとえば、こんな場面を考えてみましょう

具体的なイメージを持つために、ひとつの一般的な場面を想像してみます(これは架空の一般化された例であり、特定の誰かの実話ではありません)。たとえば、法事のために、久しぶりに本堂に座っているという状況があるとします。

畳が冷たい。正座がつらくて、早く終わらないかと思っている。そこへ、ひとつの声が、低く出ます。はじめは、何を言っているのか分かりません。意味を追おうとして、追えないことに気づく。そこへ、二人目の声が入る。

三人目。——同じ音のはずなのに、少しだけずれている。そのずれが天井に当たって、戻ってきて、部屋全体がゆっくり波打ちはじめる。正座のつらさは、まだあります。明日の仕事のことも、たぶんまだ頭のどこかにあります。

けれど、音を追うのをやめた瞬間から、時間の進み方が変わっています。やがて声が止まる。そのあと、まだ少しだけ鳴っている。——その残っている数秒が、いちばん静かなところです。法要が終わって、外に出て、車のドアを開けるころには、たいてい忘れています。

それでも、あの数秒だけは、なぜか思い出せる。声明とは、そういう残り方をする音です。


※本記事は健康・医学的な効果を保証するものではなく、医療の代替となるものではありません。心身の不調がある場合は、医師などの専門家にご相談ください。


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FAQ(よくある質問10問)

Q1. 声明と読経(お経を読むこと)は何が違うのですか?

音の高さが決まっているかどうかが最大の違いです。読経は一定の高さで文字を追いますが、声明は上下・伸ばし・揺らしが曲ごとに定められた声楽です。博士(はかせ)という記譜もあり、稽古を積んで習得します。

Q2. 声明の意味を理解しないと聴いてはいけませんか?

いいえ。歌詞は漢文や梵語の音写であり、意味を追える速度では動いていません。旋律と重なりと残響を聴くもの、と考えてください。意味の理解は体験の条件ではありません。

Q3. 天台声明と真言声明、どちらから聴くとよいですか?

どちらでも構いません。強いて言えば、解説付きの公演があるほうから入るのが分かりやすいと思います。系統の違いは、何度か聴くうちに自然と分かってきます。

Q4. 声明は「倍音唱法」なのですか?

厳密には違います。 一人で複数の音を出すホーミーやチベットの一部の詠唱とは仕組みが異なり、日本の声明で聴こえる倍音は多数の声の重なりと堂の残響によるものと考えられます。

Q5. 声明に「特定の周波数」はありますか?

ありません。 声明には絶対音高の基準がなく、唱え出しの高さはその日の導師の声で決まります。特定のHzに合わせて設計されているという事実は確認されていません。

Q6. 家で流しっぱなしにしてもよいですか?

構いませんが、音量は控えめにしてください。低音成分が多いため、大音量・長時間は耳の負担になります。会話より少し小さいくらいが適量です。

Q7. 睡眠中に流しても大丈夫でしょうか?

声のある音は、人によっては眠りの妨げになります。入眠前の30分程度で切るタイマー再生をおすすめします。眠るための音を探している方は、環境音のほうが向いていることが多いものです。

Q8. 声明を自分で唱えてみたいのですが、可能ですか?

一般向けの声明講座や体験会を開いている寺院・団体があります。独学で法要の曲を再現しようとするより、そうした場を探すほうが確実で、文化的にも配慮のある入り方です。

Q9. 法要に参列するとき、写真や録音はできますか?

原則として控え、必ず寺院の指示に従ってください。 法要は演奏会ではなく、供養や祈願のために営まれている儀式です。撮影可否は寺院ごとに異なります。

Q10. 声明はどこで音源を探せばよいですか?

寺院や仏教系レーベルによる堂内収録の録音が流通しています。「〇〇寺にて収録」「天台声明」「真言声明」など、収録場所と系統が明記されているものを選ぶと、専門の僧による本格的な内容である可能性が高くなります。


まとめ|千年、譜ではなく喉で運ばれてきた音

声明についていちばん驚くのは、楽譜が不完全なまま残ったことだと思います。博士は、音の高さを書きません。長さも正確には書きません。書いてあるのは、前の音からどう動くかだけです。だから声明は、譜だけでは絶対に再現できません。師の声を聴いて、真似て、直されて——人の喉から人の喉へしか渡らない。

千年、そうやって運ばれてきました。私たちは、記録することが保存だと思いがちです。書き留めて、録音して、データにする。けれど声明は、その逆の方法で生き延びてきました。不完全な譜と、生きている人。 その組み合わせのほうが、結果として長く続いた。

堂で聴くと、それが少しだけ分かります。同じ曲でも、その日の導師の声で高さが違う。人数で厚みが違う。建物で余韻が違う。毎回、違う音がしている。固定されなかったから、続いたのだと思います。

より広く日本と世界の智慧の伝統を眺めたい方は、スピリチュアリティ完全ガイド(記事91)もあわせてどうぞ。今夜、眠る前に、声明の録音を一曲だけ、小さな音で流してみてください。意味は追わなくてかまいません。

声が止まったあと、部屋にまだ少しだけ残っているその数秒を、聴いてみてください。星の光が届くのにも、たぶん、これくらいの遅れがあります。



参考文献

  1. 天納傳中・岩田宗一・播磨照浩・飛鳥寛栗 編『仏教音楽辞典』法藏館、1995年
  2. Alison McQueen Tokita and David W. Hughes (eds.), The Ashgate Research Companion to Japanese Music, Ashgate, 2008(religious music の章に声明の記述)
  3. Bernardi L, Sleight P, Bandinelli G, et al. “Effect of rosary prayer and yoga mantras on autonomic cardiovascular rhythms: comparative study.” BMJ, 2001;323(7327):1446-1449.
  4. Vickhoff B, Malmgren H, Åström R, et al. “Music structure determines heart rate variability of singers.” Frontiers in Psychology, 2013;4:334.
  5. Kalyani BG, Venkatasubramanian G, Arasappa R, et al. “Neurohemodynamic correlates of ‘OM’ chanting: A pilot functional magnetic resonance imaging study.” International Journal of Yoga, 2011;4(1):3-6.

MuZenCosmos — 宇宙と静寂の交差点|千年、譜ではなく喉で運ばれてきた音